気屋の歴史・文化

縄文時代の土器や石器が出土する気屋遺跡。
受け継ぐ歴史と文化を残す集落

集落の成り立ちは古く、縄文時代にさかのぼります。今でも縄文式の土器が出土しており県指定気屋遺跡となっています。気屋遺跡は、高畠と呼ばれる丘陵の南向きの緩やかな斜面にあります。旧宇ノ気町の医師で考古学にも関心のあった久保清氏によって、上山田貝塚とともに発見されました。

気屋遺跡からは、注口土器と呼ばれる種類の土器も出土しています。今のお茶を入れる急須みたいな形をしています。用途としては「お酒などを入れて祭りに使った」「血を止める薬や痛みをやわらげる薬などを入れた」などの説があります。

先人たちの知恵がつまった貴重な資料が出土

遺跡から出土した土器は、石川県内や北陸地方の縄文時代後期という時代を示す「ものさしとなる土器」とされ、「気屋式土器」といわれています。

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